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家族のために交渉する

odawaraetsuko1



皆さんは家族に付き添って病院に行ったことはありませんか?

今日は私が高齢の母を診察に連れて行き,母のために交渉した話を書きます。
















私は95歳の母親と暮らしています。母は耳が遠く,物忘れがあり,歩行が少し不安定で,日常の生活に助けが必要ですが,週3回のデイケア通いを楽しみにしています。


ある朝「おはよう」と声をかけたときに,母の両肘に大きな痣を見つけました。「どうしたの?」と尋ねると,母は夜中にトイレで転倒したが,便器にしがみついて立ち上がったと言いました。そして,右足を指さしながら痛みを訴えました。右足の甲と裏に大きな痣がありました。痛いけど歩けます。打撲だろうと考えました。しかし,一週間後,母の右足の痛みが変わらないので,私は母を整形外科に連れて行きました。


担当の医師は,穏やかな印象の方でした。偶然にも先生は私たちのマンションの住人で,母とは顔見知りとわかって,母は安心した様子でした。私は,母が一週間前にトイレで転倒したこと,両肘と右足に痣と痛みがあること,両肘はよくなっているが,右足の痛みが変わらないことを説明しました。

先生は足の具合を見ながら母と話した後に,「レントゲン写真を撮ります」と言い,看護師が母を車いすで検査室に運んでいきました。

次は診断です。先生はレントゲン写真の足指をさしながら,「軽い骨折ですね。足首の上までギプス固定をしましょう。」と言いました。


この診断と治療方針は私にはショックでした。私は若い時に,右足部を骨折し膝下までギプス固定した状態で2か月過ごしたことがあります。大変歩きにくく,何回も転びそうになりました。母が足首の上までギプスを付けたら,立ったり座ったりも難しくなり,歩行も今より不安定になるだろうと想像しました。母が安全に歩けるとは考えられませんでした。そこで,私はギプスを付けて母は歩けますか,と先生に尋ねました。先生は他の患者たちはギプスの上にサンダルを履いて歩いていると答えました。それに対して私は,「いや,母はギプスにサンダル履いては歩けないよ。」と考えました。


私は母の保護者として先生に訴えることにしました。

私は,大きく息を吸って,失礼がないように,でもはっきりと話しました。

「先生,私も右足を骨折して膝下までギプス固定をしたことがあります。滑りやすく歩きにくかったのを覚えています。母の場合,数年前から歩行が不安定で,これまでにも,何回も腕や顔をぶつけて,けがをしたことがあります。顔を地面にぶつけて映画のロッキーのようになったこともあります。足首までギプス固定して,安全に歩けるでしょうか?」

私の訴えに対して,先生は即座に,しかし,自信を持って,「では,入院ですね。」と答えました。先生はこれ以上の方法はないことを確信しているように聞こえました。


その瞬間に,入院のアイデアはよくない,と私は考えました。

3年前に母は高熱のために入院したことがあります。母はなじみのない異様な空間で混乱し,辻褄の合わないことを言うようになりました。高齢者が慣れない環境のもとで混乱し,色々な問題が起こるのはよくあることです。母が自宅に帰るまでにひと月かかり,普通の生活に戻るまでにもっとかかりました。

もし母が再度入院したら,また同じようなことが起こるかもしれない。

母が入院した場合に順調に回復するとは,私には想像できませんでした。

入院すれば,今の生活は壊れてしまうでしょう。

何としても母の入院に反対しなければなりません。


私は,はっきりと,しかし,丁寧に「母の入院は考えられません。」と先生に言いました。私はやっとの思いで訴えましたが,次にすべきことはわかりません。私は八方塞がりの状態でした。

私の心臓はバクバクしていますが,「落ち着け,落ち着け。何か,入院を回避する方法をみつけるんだ。」と,自分に言い聞かせ,考えを巡らせました。

右足を固定して,母が安全に歩いて,いつものように生活できる方法はないか,と考え続けました。

ふと,「簡単な金属板と包帯で足部を固定したらどうだろう。母はそのままで靴を履いてうまく歩けるかもしれない。」と,考えました。

私の提案がうまくいく保証はなかったが,私は思い切ってアイデアを話してみることにし,できるだけ丁寧に話し始めました。


「あのう,先生,金属板を母の足裏に置いて包帯で巻いて固定したらどうでしょう?母はそのまま靴を履いて安全に歩けるのではないでしょうか?」私は緊張して先生を見ましたが,先生は下を向いて腕組したまま考え込んでしまいました。

しばらくすると,先生は顔をあげ,看護師に金属板と包帯を持ってこさせ,母の足を丁寧に包帯で巻いていきました。先生が私のアイデアを受け入れてくれたのはうれしかったけど,うまくいくかはわかりません。私は緊張しながら成り行きを見守りました。

看護師が手伝って母に靴下を履かせ,先生が母に起き上がるように促しました。母はわたしたちを見廻してから,ゆっくり起き上がり診察台に腰掛け,靴を履き,立ち上がりました。

母は4歩進み,立ち止まりました。母は先生に笑顔を向けてはっきりと「全然痛くないです」と言いました。


次に先生は,「週3回包帯交換に来てください」と言いました.先生はあまり表情を変えていませんでしたが,不快そうには見えませんでした.

私は,ニコニコして,「はい,もちろんです」と答えました.母は,私と先生のやり取りをうれしそうに見守っていました。

数週後 母の骨折は治癒したと診断され,包帯も外れました。先生も微笑んでいました。

最期の診察の時に,いつもの看護師が笑顔で「娘さんの粘り勝ちですね。」と言いました。私は勇気を褒められて,大変うれしかったけど,少し謙遜して「いいえ,先生がいい先生で,私たちに耳を傾けてくれたからよかったです。」と笑顔で答えました。



 

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